春は曙…?



 今は昔、何れの天皇の御世にか、一人の聡明な女御がおりました。その父上は宮中に出仕する官僚で、彼女自身もさる姫宮の教育係として御側に仕えておりました。
 彼女の御世話する姫君はとても聡明な方で、御自分の周りの女房達をその出自で差別する事などありませんでした。周りの誰方にも同じ様に、柔らかな物腰と変わらぬ態度で接しておられたのです。しかし姫宮に御仕えする方々は残念ながら違いました。家柄や父兄の階級、その他にも様々な事で上下を取沙汰して止まなかったのです。
 何時の世でも、女性達の口さがなさは変わり無き事。姫宮の信任が厚い彼女は、よく攻撃の的となりました。
「何故、あの方如きが姫様の御側に居られるのかしら?」
「きっと余程の貢物を献上されたのでしょうよ。」
「さもありなん。でなければ、私達を差し置いてあの様な…。」
 口々に陰口を叩く同僚を、しかし彼女は相手にしませんでした。言いたい者は何とでも言えば良いわ。そんな風に恬淡としていたのです。それが他の方達の反感を更に煽る事になっても、彼女はまるで気に留める様子を見せませんでした。

 そんなある日、彼女はふと思い付いて、日々の徒然事を書にしたためてみました。自分が御仕えしている姫宮の御様子。自分が何と申し上げたか。姫君がそれに何と御答えになったか。達者な文章で描く宮中の様子はたちまちの内に評判となって広まりました。彼女はすっかり気を良くしてしまいます。
 世評に勢いを得た彼女は次々に書き綴りました。自分がどんなに姫宮の御寵愛を受けているか。自分がどんなに賢く、如何に他の方達より抜きん出ているか。自分の好きな事、嫌いな事。その目に留まった綺麗なもの、醜いもの。それはもう手当たり次第、思い付く儘といった有様です。
 勿論、同僚の女房達だとて例外ではありません。服装から立ち居振る舞い、言葉遣いといった事まで面白おかしく書き立てました。もしかしたら、やっぱり少しは反撃の意図もあったのかも知れませんね。何故なら、彼女を苛めた女御に対しては、殊更に容赦の無い筆致でもって描き出してみせたのですから。
 でも彼女自身は実は、世間で言われる程深くは考えていなかったのです。思った事、感じた事を、有りの儘に書いたらこうなりました。自慢話だなんてとんでもない。自分が聡明なのは事実。それを姫宮の御褒めに与ったのも本当の事。だから素直にそう書いただけ。そんな風に思っていたのでした。
 江戸時代の川柳に『その通り、だから余計に腹が立ち』という一首があります。彼女の文章は正にそれでした。なまじ表現力に長けているだけに、その威力は始末に終えません。辛辣な描写はまるで鋭い刃の様に同僚達の胸を貫きました。当然ながら他の女房達は更に意地悪になります。その結果、彼女自身の舌鋒も鋭さを増していったのでした。きっと悪循環とはこういう事を言うのでしょう。
 そんな彼女とその同僚達の様子を、主である姫宮がどの様に御覧になっておられたのか。今となっては知る由もありません。けれど聡き姫と伝えられる御方の事ですから、きっと見て見ぬ振りをなさっておられたのでしょう。君子危うきに近寄らず、とか申しますしね。

 余談を言えば、彼女の作品は当代随一の名作と謳われるまでになります。彼女自身も後に『平安朝を代表する女流作家』として、その名を歴史に刻まれる事になったのです。
 今も尚、彼女の文章は人々に読み継がれています。その出自や生き様、人となりを知らなくとも、彼女の名前と作品集を知らぬ者はありません。
 多分、貴方も否応なしに読まされた記憶がおありでしょう。冒頭の格調高い文章に釣られて読み進めていく内に、何時の間にやら気付かぬ内に自慢話に傾れ込む。自分の感情に正直過ぎるとしか言い様のない作品の数々を。
 彼女の書いた随筆集の題は、確か『枕草子』とかいったでしょうか。古文の授業で御馴染みのあの作品は、実はこんな風に出来上がったのでした。

 

―― Das Ende. ――



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