あの男は、突然やって来た。
かつて村中にネズミが大量発生し、只でさえ少ない食料を食い荒らし、疫病を運んで来た。村中総出で駆除に追われ、けれど何をやっても効果が無くて。遂には為す術も無く困り果てていた、あの時。
「私がネズミを一掃してやろう」
何の前置きも無く、彼は村長にそう申し出た。成功報酬として、多額の金を要求したが、勿論、我々に否やはない。二つ返事で彼と契約したさ。
そして彼は、笛を吹いた。
何の変哲もないその縦笛に、どんな魔法が掛かっていたのか。不思議な音色が零れ落ちた途端、村中のネズミが彼の元に馳せ参じた。そして彼の誘う儘に、何処へともなく連れ去られて行った。
暫くして戻って来た男は、当然の如く報酬を請求した。けれどその時にはもう、我々は金を払う気を失くしていたんだ。
だってそうだろう。ただ笛を吹いただけでネズミがいなくなるなんて、聞いた事もない。只の偶然で、ネズミは勝手にこの村を出て行ったんだ。そう思う方が自然じゃないか。
我々の言い分を黙って聞いていた男は、怒らなかった。それどころか、薄笑いを浮かべてこう言ったものだ。
「好きにするが良い。だが、きっと後悔する事になるぞ。」
通りすがりの風来坊に何が出来る?そう思った我々は、彼を嘲笑った。今思えば、それが禍したのかも知れない。
我々の見守る前で、彼は笛を取り出した。再び零れ出した笛の音に釣られて集まったのは、今度はネズミでなく、我々の子供達だった。まるで笛の音に操られる様に、彼の後に付き従う。
「何処へ行くんだ?」
「戻っておいで!」
口々に叫ぶ我々の言葉も耳に入らないのか、子供等は行進を止めない。その視線は、真っ直ぐに笛吹きの背を見据えている。彼等はその儘、何処へともなく連れ去られてしまった。
そして、まるで入れ替わりという様に、先に男が連れ去った筈のネズミ達が、また村に戻って来た。再び我々の食料を食い荒らす為に。
またしても、ネズミの駆除に追われる日々が続いた。愛する我が子を喪った家も、それは例外ではなくて。日常に忙殺された我々は、何時しかその暮らしに慣れていった。
そんなある日の事だった。再びあの男が我々の前に姿を現したのだ。
「ネズミを一掃して、代わりに子供達を返してやろう。」
驚く村長に、彼はそう申し出た。その代わり、前より更に多額の金を要求されたが、勿論、我々に否やはない。二度と約束を違わぬ証として、契約金を前渡しした。
期待に満ちた視線の中、彼は件の笛を取り出した。不可思議な音色が零れ落ち、聞いた事もない旋律を紡いでいく。
皆が息を潜めて見守る中、果たして村中のネズミが馳せ参じた。そして男の誘う儘に、何処へともなく連れ去られて行った。
それから程なくして、喪った筈の子供達が帰って来た。涙を浮かべる父母の胸に抱かれて、彼等は幸せそうに笑っていた。
あれからどれ程の歳月が流れたのか。我々はネズミの心配もなく、安心して日々の生活を営んでいる…んだが。
子供達と暫く離れている間に、奴等がこんなにも手の掛かる生き物だという事を、我々は忘れてしまっていたらしい。訳も無く騒ぎ立てるし、手酷い悪戯はやらかすし、そこいら中を走り回るし。叱っても謝らないし、素直に言う事を聞かないし。ネズミと同様…否、それ以上に食料を食い荒らすし。もう鬱陶しい事この上ない。
我々は今、密かにある期待を抱いている。きっともう直ぐ、あの男が現れるだろう。そしてこんな台詞を言うかも知れない。
「私が子供達を一掃してやろう」
きっと我々は、一も二も無く、その申し出に飛び付くだろう。また更に多額の報酬を要求されるだろうが、そんな事は問題じゃない。何なら前回の倍額を支払ったって構わないさ。今のこの、救いの無い状態から開放されるなら。
あの男は、何時やって来るのだろう。今日か、明日か、もっと先の事か。小悪魔達に翻弄されながら、我々は今日も、笛吹きを待ち続けている…。