全く、あのお姫様にも困ったもんだ。巷では純真だとか無垢だとか、そんな風に思われてるらしいが。とんでもない。ありゃ単に世間知らずなだけだったのさ。
我々と出会う前だって、継母の邪心にまるで気付かず、呑気に同じ城で暮らしてたっていうじゃないか。殺したい程憎まれても分からないなんて、普通の神経では考えられない話だ。
君もそう思わないか?
城での難を逃れたのだって、自分の才覚じゃない。彼女を哀れんだ家来達が、彼女の代わりに策を弄して、継母の目を欺いてくれたからで。彼女の肉を夕食に所望する奥方に、若い雌鹿や子羊の肉を提供して。何度もそんな事を繰り返した挙句、流石の忠臣達も「これ以上は無理だ」とばかり、彼女を森へ逃がしてやった。その時ですら、何故こんな事になったのか、彼女自身は全く分からなかったというから、驚くじゃないか。
我々の元へ来た時もそうだ。見ず知らずの他人の家へ上がり込んで、其処が男所帯と知っても平気で居座るだなんて。とても嫁入り前の若い娘のする事とは思えない。況してや王の娘たる者が、そんな真似をするかね、普通?幾ら箱入り娘だったとて、警戒心が無いにも程がある。
君だってそう思うだろう?
まぁ継母が嫉妬するだけあって、確かに彼女はとても美しい娘だったよ。おまけに気立てが良くて働き者で、嫌な顔一つせず家事全般を引き受けてくれた。だから我々も、快く彼女を受け入れたんだ。
でもなぁ…その時はまだ、彼女は危機を脱した訳ではなかったんだ。どんな手を使ったのか、お城の継母は彼女がまだ生きている事に気付いて。彼女を亡き者にせんと、手を変え品を変え、再び謀略を巡らせていた。そして彼女を欺くのは、赤子の手を捻るよりも容易い事で。継母の卑劣な策に何度も引っ掛かっては、危うい処で我々が駆け付ける。その繰り返しだった。
そんなに何度も危ない目に遭えば、常人ならば己の身を護る為に、何らかの手を打つのが普通だろう。そうでなくても、せめて見知らぬ他人への警戒心くらいは、芽生えてくるのが当たり前だ。
けれど彼女は違った。「見知らぬ人を決して家へ入れてはいけない」。普通なら幼子に言い聞かせる類の事ですら、態々言ってやらねば分からない。それどころか「家に入れなければ良いだろう」とばかり、老婆に変装した継母を窓越しに応対する始末。そして差し出された毒入り林檎を素直に受け取って、促される儘それをその場で口にして。期待に息を詰めて見守る継母の眼前で、彼女は静かに窓辺に崩折れた。
夕方に帰宅して、倒れ伏す彼女を見た時の、我々の気持ちが分かるかい?今朝方まではあんなに元気だった娘が、今はもう息をしてなくて。蒼褪めても尚美しいその顔は、もう二度と微笑みを浮かべる事さえなくて。それを知った時の我々の嘆きが、君に分かるかい?
だけど君も知っての通り、ソレは杞憂に過ぎなかった。
偶々彼女は林檎を嚥下出来ずに、喉に詰まらせて。そのお陰で毒が体に回らず、一時的に仮死状態に陥っただけで。偶々其処へ、放浪中の王子様が通り掛かって。その王子様がまたヤケに惚れっぽい男で。その上いくら美しいとはいえ、死人に口付する様な痴れ者で。そんな偶然に偶然が重なって、彼女は一命を取り止めた。
こうなるともう、幸運だったというより、悪運が強いとしか言い様がないね。運が良かったなどというレベルを超えている。
それでも、彼女が息を吹き返した時は、そりゃぁ嬉しかったよ。文字通り小躍りして喜んだものさ。そして彼女は、命を救ってくれた王子様と共に、お城へ戻った。乗り掛かった船という奴だ。なりゆき上、我々も一緒に連いて行ったよ。
お城に着いた彼女は、王子様の助言に従って継母を糾弾した。これ迄の数々の悪行を暴かれた継母は、酷い拷問の末に処刑された。遂に悪女は滅びた。これで漸く、彼女は完全に危機を脱したのだった。
時を置かず、例え罪人とはいえ一度は母と呼んだ人の血も乾ききらぬ間に、彼女は件の王子様と結婚式を挙げた。国中の人々が、妻を喪ったばかりの父王でさえも、若い二人の門出を祝福した。斯く言う我々だとて例外ではないが。
そして何事も無かったかの如く、彼女はまた元の生活に戻ったんだ。お城ではもう、継母の事を口にする者は誰もいない。王妃の座を汚した悪女は、国史にその名を残す事すら許されなかった。
『そして王子様とお姫様は、末永く幸せに暮らしました。』
彼女に限っては、物語を締め括るこの台詞に偽りは無い。
そもそも生まれた時からこの方、彼女が幸せでなかった事など一度もなかったのだ。父王に嫁いだ継母に、お城で様々な嫌がらせを受けた時も。命を狙われた挙句、遂に森へ放逐された時ですら。何も知らず、知ろうともしない彼女は、決して自分を不幸だなどと思った事はなかった。
例えその身に何か問題が起こっても、本人が何も気付かない間に、他の誰かがきっと何とかしてくれる。今迄もずっとそうだったし、これから先もきっとそうだろう。我々はその事を、嫌という程身に沁みて知っている。
人並外れた強運の持ち主は、同時に人並外れた鈍感さを持ち合わせていて。彼女に対して、一般常識など通用する筈もない。それが彼女の幸せたる所以。
そうそう、これは余談だが。我々は今、彼女のお城で一緒に暮らしているんだ。お姫様を匿い、その命を救った功労者という訳だ。安楽な暮らしと贅沢な食事を与えられ、今はもう汗を流して働く必要もない。専用の召使さえいるんだ。彼は我々の行く所、何処へでも付き従っている。表向きは主の世話をする為に。でもその真実の役目は、もっと別にある。我々はそれを知っている。
だってそうだろう?仮にも王の娘たる者が、幾ら緊急事態とはいえ、見知らぬ男達の家に起居して。同じ様な策に何度も命を落とし掛けて。異国の王子様の口付けで、漸く仮死状態から復活しただなんて。外聞が悪いにも程がある。
相変わらず何も気付かない彼女に代わって、今は夫となった彼の王子様が、その身を大切に護っている。そしてその命を受けた腹心の部下が、常に我々に目を配っているのだ。不必要な相手と言葉を交わさぬ様に。余計な事を口走らぬ様に。
だから我々は、好むと好まざるとに関わらず、二度と森へ戻る事はない。
巷では純真だとか無垢だとか評されている彼女の、これが真実の姿だ。だけどこんな事は、例え口が裂けても他人には言えやしない。
だから君も、コレは此処だけの話にしておいてくれ。